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創業者ココ・シャネル(本名:ガブリエル・ボヌール・シャネル)
の存在なしにしてシャネルは語れません。
僕がココ・シャネルに興味を抱いた一番の理由は、デザイナーとしてのセンスや実力はもちろんですが、それ以上に自分自身が本当に求める夢や生き方に忠実で、強靭(きょうじん)な独立心を持って孤児からファッション、社交界の頂上までのぼり上げた、まさにシンデレラストーリーを実現した人だからです。
自分にも他人にも厳しく、攻撃的で激しい性格であったココ・シャネルは、常に自分の心を駆り立てる夢に向かってたくましく前に進み続ける孤高で強靱(きょうじん)な精神の持ち主でした。
ココ・シャネルはフランス南西部オーヴェルニュ地方に行商人の娘として生まれます。
15歳の時母親が他界し、姉ジュリアと共に修道院で育ちました。
ココ・シャネルは子供の頃から好戦的な性格で、その言動から姉ジュリアに迷惑をかけてばかりいる「おてんば娘」だったようです。
人から特別な視線を浴びる快感が大好きだったココ・シャネルは当時から洒落が好きで修道院で学んだ裁縫の技術がのちに、将来のシャネルを形づくる基礎となります。
(シャネルが過ごした修道院)
孤児であるという不遇に常に反発し、「人に自分を認めさせたい」という強い願望を持っていたココ・シャネルは小説の世界に没頭しその想いをはせていたようです。
「誰からも命令されず、何も考えず湯水のようにお金を使う贅沢な生活をしたい」。
と夢見る日々を過ごすココ・シャネル。
彼女の望みはただのお金持ちではなく、常に人から注目される「特別な価値のある人間」であることでした。
この頃のココ・シャネルに「具体的に何がしたい」という望みは特にありませんでしたが、どうすれば自分は、小説の世界のヒロインに出てくるような特別な人間になれるんだろう?
いつもそんなことばかりを考える少女だったようです。
姉ジュリアと別れ、孤児院で養ったスキルを活かし従兄弟のアドリエンヌと共にムーランの洋品店のお針子として働き始めたココ・シャネルは、この洋品店で運命を好転させるチャンスをつかみます。
ある日のこと、働いていたお店に「猟騎兵第十連隊※」というお金持ちのエリート部隊が来店し、将校たちに恋愛小説で学んだ恋のかけひきの罠をしかけます。
そして、見事その中にいた資産家の御曹司エティエンヌ・バルサンという人物のハートを手に入れてしまうのです。
波乱と成功が入り交じるココ・シャネルの豪勢な人生の始まりはここからでした。
※猟騎兵第十連隊
貴族や良家の子孫しか入隊できない部隊で、家柄のほかに、身長、体重、胸囲、容姿など厳しい試験が行われ、それを通過した者だけが入隊できるフランス陸軍の華と呼ばれている部隊。
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「美しく装い、客の賞賛を浴び、名前を知られ、有名になる。皆が自分を見に押し寄せる。街を通れば大騒ぎになる。それこそ特別な人間だ」。
ココ・シャネルは彼らの溜まり場であった「ラ・ロレンド」といカフェ・コンセール(ショー付きのカフェで当時の盛り場の一つ)で、舞台の上でシャンソンを披露する歌手の卵『ポーズ嬢』を見て、歌手という生き方に「自分の人生をかけたい」と願うことになります。
(ム−ランのカフェ)
ココ・シャネルはシャンソン歌手を目指し、将校たちの溜まり場であった「ラ・ロレンド」のオーディションを無事通過してポーズ嬢としての活動をはじめます。
はじめはうまくいったかのように思われましたが
実はそうではありませんでした。
「ラ・ロレンド」が、ココ・シャネルを採用した理由は歌がうまかったからではなく、ココ・シャネルを雇うことで、上客である将校たちが頻繁に足を運んでくれるだろうと思ってのことからでした。(実際、プロの歌手としてやっていけるほどの歌唱力はなかったようです)
上客である将校たちの存在がなれれば、歌手としてどころかポーズ嬢としてさえも生きていけない。歌の実力なんて最初から認められていなかった。
それを知ったココ・シャネルの心は荒れ狂い、即座にラ・ロレンドを辞め、自分の力で歌手としての道を切り開こうと、レッスンに通い、オーディションを受け続けるもいつまでたっても仕事を取ることはできず、兵役を終え故郷に帰ろうとするエティエンヌに拾われ、歌手としての道を断念することになります。
ココ(CoCo)の名がついた由来は、ポーズ嬢としてデビューした際に歌った歌「トロカデロでココを見たのは誰」にちなんでついたニックネームです。
始めてのステージでこの歌を歌ったとき、将校たちのアンコールが客席中に広がり、ガブリエル・シャネルは満場の拍手で舞台に呼び戻され、舞台は成功しました。
この日から、ガブリエル・シャネルは「ココ」という愛称で
呼ばれるようになりました。
ココ・シャネルがファッションデザイナーになったきっかけは、エティエンヌ・バルサンに囲われている時代に趣味で作っていた帽子を、エティエンヌ邸に遊びに来たエミリエンヌという女優(周囲への影響力が強い今でいうセレブ的な存在)に見初められたことがきっかけでした。
(エティエンヌ邸)
帽子屋をやることを薦めた(すすめた)エミリエンヌや友だちの協力、エティエンヌの館で出会い、のちに生涯愛することとなる恋人アーサー・カペルの出資により、サンノトレ通りにほど近い「カンボン通り21番地」という場所に「シャネル・モード」というブティックをオープンさせます。
(シャネルが最初の帽子店を開いたアパート)
こうして ココ・シャネルは帽子屋としてデザイナーとしての道をスタートすることになります。
その後カペルの支援のもと、洋服のデザインへとビジネスの手を広げてゆきます。
ココ・シャネルはファッション界で俗称「皆殺しの天使」とも呼ばれています。
その名の由縁は、ココ・シャネルは数々の時代を変える新しいスタイルを生み出し、それまで常識とされてきた、ファッションの歴史を一瞬にして闇に葬ってしまうことからちなんだ名称です。
ココ・シャネルはカペルの支援の元、その期待に応え数々の成功を収めブランドの知名度を上げていきます。
経済的な意味で大きな成功をもたらす起爆剤となったのは、カペルが離れた以後に生み出された商品、今も世界中で愛されるシャネル定番の香水「シャネルNo.5」の大ヒットによってです。
これには、生涯の友人であり、仕事の協力者でもあるフランス社交界の華と呼ばれたミシアからの出会いを受けて実現したものです。
シャネルが世界のトップブランドになるには、このミシアの協力がなかったら実現しなかっただろうと言われています。
ココ・シャネルは恋多き女性でも有名ですが、その中でも3名の恋人との出会いが自分の人生を好転させていきます。
エティエンヌ・バルサン:
歌手としての生き方が全くうまくいかず、みじめさに打ちひしがれている時に救った存在。
贅沢でなに不自由ない暮らしを与えていたが、ココ・シャネルが帽子デザイナーとして自立しようとする姿勢を望まず、別れることになる。
シャネルを国内トップブランドにまで押し上げる支援をした次なる恋人、アーサー・カペルとの友人であり別れの代償にシャネル成功への出会いのきっかけをもたらす。
アーサー・カペル:
「世間に認められたい」という同じ願望を持ち、デザイナーとしての才能がありながらもエティエンヌからの支援が受けれず憂鬱(ゆううつ)なときに苦しむココ・シャネルに救いの手を差し伸べ、シャネルのスタートからブランドが大きく羽ばたくまで支援した恋人兼、ビジネス・キーパーソン的存在。
「世間に認められたい」という願いの果て、金も地位も手に入れたカペルは最終的に、ココ・シャネルとの愛より『身分』を得ることを望み、イギリス貴族との結婚の道を選択してココ・シャネルと別れることになる。
ディミトリ・パヴロヴィッチ:
爆発的なヒットでココ・シャネルを大富豪にし、今も世界中で愛されているシャネル定番の香水、『No.5』を開発する手助けをした存在。
亡命した元ロシア貴族で、祖国ロシア復興のためにアメリカの富豪令嬢と結婚をする。
モード、社交の世界で頂点まで登りつめ、特別な価値ある存在としてきらびやかで華やかな世界に咲き乱れた人でしたが、「孤独」という淋しさからだけは癒されることなく1971年1月10日、ココ・シャネルは87歳で人生の幕を降ろします。
晩年にココ・シャネルが住んでいたパリの「ホテル・リッツ」スイートルーム
20世紀に比類なきモードの女王と呼ばれたココ・シャネルは、肉親の愛を受けられず惨めだった生活からの復讐心をエネルギーに、次々と斬新なファッションを世に送り出し地位と名誉という成功を手に入れ恋多き女性でもありましたが、結婚には恵まれず、生涯孤独でした。
葬儀はショパンと同じパリ・マドレーヌ寺院で行なわれ、
遺言によってローザンヌの墓地に埋葬されたそうです。
たくさんの墓石が並んでいる中、ただひとつ、木と花の陰に
隠れてココ・シャネルのお墓は静かに佇んでいます。
白い墓石には、彼女の星座を象徴する獅子の頭が刻まれています。
幼かった頃、薄汚れた部屋でがんじがらめにされていることを憎み、
富と自由のイメージとして
「白」いものばかりを夢見ていたココ・シャネル。
その白い墓石の前には、
やはり白い小さな花が今も咲き乱れています。
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